2005年10月08日

いま愛を語ろう

大切な人の一周忌です。
鮮烈な感情とか抑えきれない想いだとかってものは
時間が経つにつれて、なりをひそめて行きました。


以下、昨年のエントリ。
なんとか想いをつづったものの、自分で見るのが辛かったので
少しの間だけUPして消してしまったものです。
今はもう大丈夫。
むしろ、形に残しておきたい。
いい機会なので載せさせてください。



  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *




動揺した状態のままで書いたものを載せてしまってごめんなさい。
読む方の気持ちをまったく考えていない文章でした。
ごめんなさい。

私がどれだけ混乱していたのかは
「腹痛が痛い」みたいな日本語を使ってることからも
お察し頂けるかと思うのですが、
一度書いた手前、何も言わずにいるわけには行かないと思ってます。
テンションを求めてる方はスルーしてくださいね。

自分を責めているような書き方をしてしまったけれど
私は責任を感じてるわけではありません。
大往生といっていいんです、たぶん。
だから責めたり悔やんだりはしてない、そういう意味では大丈夫です。

ただ彼女を思っていました。
ふんわりした笑い方、私を呼ぶときの声、叱られたこと、優しい手。
泣きじゃくって謝りに行っては「ちゃんと謝りにこれて偉いね」と
甘やかしてもらったこと。
私が好きだと知っていて、必ず「作りすぎ」る料理。
お礼を言うためにチャイムを鳴らした私が
いつもうつむいてボソボソ話すのを、
膝立ちになって視線を合わせて聞いてくれました。

真っ黒に日焼けしてテニスに夢中になってた頃も
髪を染めていくつもピアスを開けて、やたら化粧をするようになった頃も
就職活動だなんてスーツを着始めた頃も
いざ決まってみたら私服だったんだよって母づてに報告した時も
それから働き出して、今までも。

ずっとずっと私は「あこちゃん」だった。
どんなに大人になったつもりだって、
彼女にとっては私は小さなあこのままだった。
それが歯痒かったこともあったけど
「孫みたいなもんだから」
いつも笑顔と一緒にもらってたその言葉が、どれだけのものだったのか
いまさらわかったの。
やっと気付いたんだよ。
愛してくれてありがとう。
大好きでした、これからも愛してます。

去り行く者の最後の仕事は、生者を集わせることだと思う。
日常に流されて「機会があったら」が
いつになるともしれなかった人たち。
久々に顔を合わせて、彼女のことを語りあって。
そこから始まっていくものもある。
止まっていた時間が動き出したりするんだ、
キレイ事じゃなくてほんとに。

幸せなことに私は、早すぎたってやつにはまだ遭ってないから
だからこんな風に思うのかもしれない。
甘いかもしれないけど、そう思わなきゃ昇華できない。

忘れられたくない、きっと私だったら思う。

でも大丈夫、海馬から抜けることはないんだよ。
リアルな感情が引出しの奥の方にだんだんと移動していくのは
時間とともに思い出しにくくなっていくのは
きっと神様の優しさ。

なんの変わりもなく日常が続くことに眩暈を覚えながら
それでも生きていかなきゃいけない者たちへの、きっと。

これからも見ててね。
見守っていてください。
恥ずかしくないように私、頑張るから。




  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *  *



今、こんなに穏やかな気持ちでいられるのは
忘れてしまったからじゃなくて
私の中で彼女の居場所が定まったからだと思う。

1年経っても気持ちは変わらなかったよ。
これからも見ててね、私、頑張るから。



posted by あこ at 01:31| 私事 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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